私が相撲好きになったのはいつからだろうか?相撲にまつわる子供の頃の記憶をたどり、好きだった、記憶に残る力士や記憶に残る一番などを気の向くままに書いてみます。


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相撲ひとくちメモ

相撲好きの私

記憶に残るあの一番

忘れ難きあの力士

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相撲好きの私の幼き頃の記憶

私の祖母は相撲好きであった。相撲が始まると欠かさずテレビを見ていた。
そんな祖母の横にちょこんと座り一緒に相撲を見ていた。
私が子供の頃、故郷信州には民放局が一つしかなく、
必然的にNHK、相撲、を見る確率は高かった。
だから子供ながらにみんな相撲はそれなりに詳しかった。

巨人・大鵬・卵焼きの時代である。
柏鵬・千秋楽全勝対決を父母が見ているのを庭の砂場からみていた…。
これが最初の相撲に関する記憶である。

大相撲ソ連公演で力士がシベリア鉄道に乗ったが
何人かが食中毒のような下痢をしたとか,
大鵬は樺太生まれなので今回は考えようによっては里帰りとも取れるとか
大鵬やほか誰かがピストルを買ってきて不法所持で
川に捨てたとか捨てないとか、そんな記憶が次に続く。

実際の取り組みとして記憶にある最初のものは…、

大鵬が破竹の勢いで連勝していたが、戸田(後の羽黒岩)のはたきに破れ
物言いでもめにもめた一番。
もと双葉山の時津風理事長の英断で
一門別対戦から、部屋別総当たり制になったその場所に
大鵬が玉の島(後の横綱玉の海)に破れた一番。
こんな所であろうか。

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記憶に残るあの一番

大鵬-貴の花
大鵬を実質引退に追いやった相撲。”あの大横綱大鵬がお尻から土俵に落ちた”とびっくりした記憶がある。北玉に続く有望な若手が伸びてきたこれなら安心と大鵬も引退を決意したのである。それからまもなく玉の海が亡くなるとは夢にも思わずに。

玉の海-貴の花
横綱玉の海を目標にしていた、貴の花。確か4〜5回対戦があったと思うがついに貴の花は横綱に勝てずに終わった。これはその最後の対戦。立ち会い鋭くもろ差しになった貴の花、土俵際まで追いつめるが、腕をまさに牛蒡抜きのようにし貴の花を強引にうっちゃった玉の海。溜息と共に何ともいえず、ただただ玉の海の強さを感じた一番でした。この場所を最後に玉の海は天国へと旅立ってしまった。まだ27歳の若さで。

北の富士-貴の花
大鵬も去り、これから北玉時代を作って行くであろうと思った矢先に突然ライバル玉の海 の死でまともに相撲を取れなくなってしまった北の富士。そこへ若手の伸び盛り貴の花の驚異の粘り腰。上からのしかかるようになった北の富士それでも倒れず投げようとする貴の花。こらえきれず手を突く北の富士。あきらかに北の富士のつき手が早いが、物言いの結果 、前代見物の「かばい手」。その後この対戦では今度は北の富士が髷をつかんで逆に物言いの末負ける。因縁の多い取り組みであった。

清國-貴の花
足を取れば象や馬にでも勝てる?というようなことわざか格言のようなものが確かあったと思う。足を取られてらほとんど負けてしまうという必殺の技。だからこそ弱い相手が象のように強い相手に用いる技である。格下のものに大関が使う技ではない。それを承知の上で清國は厄介者の貴の花をあしとりで料理しようとしたが、取られた足を清國のまたの間に上手く挟み、片足でしのいで、ついには清國を破った貴の花。唖然としました。

高見山-貴の花
高見山のような大型力士を苦手としていた貴の花。うまいこと四つになり、投げたのであったが、なんと貴の花の髷の先が土俵にわずかについていた。”貴の花・髷負け”つぎの日の新聞は書きたてた。

千代の富士-大乃国
千代の富士が全勝街道まっしぐら今場所も連続全勝優勝かと思った千秋楽。相手は西正横綱の大乃国、誰も期待もしてなかったのに、来場所も千代の富士どこまで伸ばすかな、双葉山抜くには後いくつだ何て友達と話してたら、なぜか大乃国勝っちゃった。顔を真っ赤にしておろおろと俺はなんてことしてしまったんだと狼狽えていた様な気がする。勝ったのにあんな顔をした力士を初めて見た。

千代の富士-貴花田
歴史は繰り返す。30年近く前に父、貴の花が、大横綱大鵬を引退に追いやった。子、貴花田も大横綱千代の富士を腰から土俵にはわせた。そして引退へ。

久島海-旭道山
いつも物静かで、はにかむような表情でインタビューとかに答えていた旭道山。どこにあんなに闘志が隠れていたのか。立ち会い踏み込んで、張り手一発。巨体久島海が膝から崩れ落ちた。脳震盪を起こししばらく立ち上がれなかった。あれほど強力な張り手は見たことがなかった。鳴り物入りで学生相撲からスピード出世した久島海。でも期待されながら学生時代に身につけた型が逆に角界に入ってからの出世を妨げてしまった。伸び悩んでいた久島海はこの相撲で、引退とか、その後の身の振り方などを考えるようになってしまったのではないかと思われるが、実際はどうだろうか?この相撲あたりから番付もだんだん下がっていったような気がする。今彼は、親方としてときどき解説席にも座っている。逆に旭道山は政治の世界に打って出るために各界を去ったのにはびっくりした。しか闘志あふれる彼も永田町の怪物達にはかなわなかったのか政治の土俵からも今年去っていった。

忘れ難き力士

陸奥嵐
つりが得意。土俵中央で高々とつりあげ、一気にたたきつける、つり落としは鮮烈でした。最高位 は憶えていないが、中入り後の前半戦の見逃せない相撲取りという記憶が強い。

福の花
本名・福島コウイチ(漢字はわかりません)。兄のように慕っていた近所の親戚 のお兄ちゃんと同姓同名。気っぷのいい、華のある相撲取りでした。

長谷川
琴桜(現・佐渡ヶ嶽審判長)と同部屋で競い合った。関脇に長いことおりその間優勝まで経験しながら遂に大関に上がれなかった。史上最強の関脇の異名を持つ。引退して何年かしてからのインタビューで「私は今でも自分は大関だったと自負しています。」と前を見て堂々と一点の曇りもなく答えていたのが印象に残る。

大鷲
信州の郷土力士。幕内5枚目前後まで上がったと思う。二丁投げというのをよく使った。まるで柔道の技のようだった。

旭國
相撲博士・ピラニアの異名を持つ。食いついたら離れない、小兵ながら大関にまで上り詰めた。14勝、13勝を何度もしながら、その上には輪島や北の湖がもっといい成績でいて優勝できなかったのは残念だ。現、大島親方。旭富士・旭道山・旭鷲山などを育てる。

初代栃東
史上最低11勝で優勝した、現栃東のおとうさん。14日目まで10勝で5人ぐらいが並んでいた。千秋楽、平幕だった栃東はその中で最初に登場し勝利した。これで決定戦へでる資格は得た。その後登場した力士が次から次へと破れ気が付けば勝ったのは栃東ただ一人。

高砂審判
元横綱朝潮。われわれ友達の中では通称”フランケン”。ひときわ背が高く土俵の下に座っていてもとても目立つ顔を見るたびに、当時の流行マンガの「怪物君」のフランケンシュタインを思い出した。

琴椿
沖縄出身。なぜか佐渡ヶ嶽部屋には「怪我を克服していったんは幕下まで落ちたのに遅咲きながら…」という力士が多い。体が固く怪我が多かったようで、幕内に上がったのも年齢的に遅かった。幕内土俵入りで、土俵に上がる前の礼、審判の前を通 るときの会釈。真摯な態度。土俵入りで感動したのは始めてであった。それ以来、土俵入りの時の態度も力士の好き嫌いの基準になった。


琴稲妻

琴椿と同じ佐渡ヶ嶽部屋。昨年まで現役でした。大学時代からの友人SHINKICHI氏がちょっと薄くなってきた髪に断髪式後はどういう髪型になるのか何パターンか面 白く描いたイラストが相撲雑誌に掲載されました。なかなか面白かった。彼も琴椿同様、真摯な態度に好感が持てました。そして内に秘めたチャレンジ精神が旺盛で、確か、あの舞の海に対して「八双飛び」を逆にやろうとし失敗して負けてしまったということがあったと思います。

水戸泉
みなさんご存じのソルトシェイカー(だったっけ?)海外公演でも大人気でした。自分のアゴのあたりをゴンゴン拳でなぐるしぐさを含め、仕切から目が離せない力士はあまりいないでしょう。彼の全盛期関脇で優勝した場所、1992年名古屋場所は、私はモンゴルへ旅行していて勇姿を見れませんでした。千秋楽の2、3日後に帰国した名古屋で入った喫茶店で新聞をむさぼり読み、彼が優勝していたのを見て驚いたものでした。確か小錦がパレードの騎手を勤めたとか。ちょっと残念でした。



舞の海
やはりこの人の名前を挙げないわけにはいかないでしょう。技のデパートと呼ばれ、三所責め・八双飛びなどはじめて目にした技も多かった。なにより相手により変える立ち会いの多様さは
すごかった。以前2代目大関増位山の掛返しなど足技が恐く相手が踏み込めずにお互い止まってしまう立ち会いというのは見たことがあった。しかし、自らそれを武器として、止まったり、後ろに下がったりする立ち会いを使ったのは彼以外知らない。
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